林檎が日々考えてること

日記程度で記事を上げて行こうかなと思います。Twitter:t_ikun_ringo

一枚の写真

どうもこんにちは林檎です

 

今日はこんなこと思いました。

 

「写真ってすごく複雑だな」って。

 

写真ってすごく単純に見えるけど、すごく複雑なんです。

 

単純に綺麗な写真もいいけど、

その一枚でどんなストーリーを考えるか、どんな人物が出てきそうか、

それを考えるのも一つの楽しみです。

 

ごちゃごちゃ言ってますが、最終的に考えるのは

どうやったらその写真を見た人に「綺麗だな」と思わせるかです。

 

これって結構難しいと思うんですよね。

 

旅行先で綺麗だなと思った写真でもいいし、日常的に綺麗だなと感じた写真でもいいと思います。

僕は後者の方が好きですね。

 

見方を変えれば今まで綺麗じゃないなって思ってたことでも綺麗に見えてしまうんです。

すごく不思議ですよね。

 

僕は一眼カメラを買って、日常にある「綺麗」を取っていきたいと思っています。

 

なんとなく「綺麗かも」って思ったらすぐに写真をとってみるんです。

 

皆さんにもそう言った何気ない「綺麗」をみつけてみるといいかもしれませんね。

 

未来を見据える力

どうも皆さんこんにちは林檎です。

今日はこんなこと思いました。

 

「未来を見据える力って大切」ってことです。

 

 

今はコロコロ時代が頻繁に変化している時です。

今まで考えられなかった職業が出てきます。

 

そこで必要になってくる力は「未来を見据える力」と「ぞの時代に合わせて変化」できる能力です。

未来を見据えることができても、変化が起きたときに変化できなかったら意味がありません。

 

変化できなかったら「頭の古い人」というふうに言われます。

 

頭の良い人は一つ先の時代を考えて行動します。

「将来はこんな職業が出てくるだろう」とか「こんなサービスが必須だろう」など常に未来のことを考えて行動できます。

 

だからいつの時代になっても置いて行かれません。

 

たまにいますよね?

おばあちゃんなのにYouTubeやってる人とか(笑)

本当にすごいと思います。

 

 

「中学生はこうあるべき」

「高校生はこうあるべき」

 

 

なんて考えている人は、ほぼ確実に置いていかれます。

 

僕は常に未来を見据えているつもりですが、、、

まだまだです。

 

 

 

 

ハンデを抱えている方について

どうも皆さんこんにちは林檎です。

今日はこんなこと思いました。

 

「ハンデを抱えてる人の接し方」です。

 

僕の身近にも大きなハンデを抱えている人がいます。

そこで、ハンデを持っている方の接し方です。

 

ある人は「社会的立場が弱いから」とか「気を遣わないといけない」とかそういった意見が多いと思います。

 

しかし、ハンデを持っている方にしてみればどうでしょうか。

 

ハンデを抱えている人にとっては変に気を遣われると嫌な方もいるのではないでしょうか。

 

話は変わりますが、

とある配信者がハンデを抱えている人達と一緒にマインクラフトをやるといった企画を立てます。

私もその配信を見たのですが、ハンデを抱えている人たちの接し方が素晴らしかったのです。

ハンデを一つの個性として捉えているのです。

マインクラフトのメンバーには色盲の方とか左手がない方だったり、いろんな方がいたのにその配信者はハンデの事をちょくちょくいじるけど、絶対に見下したりはしないんです。

 

「〜だからできないよ」とか「〜だから気を遣おう」とか

私たちが善としてやっている気遣いが、

ハンデを抱えている人にとっては不快になるひともいるのではないでしょうか。

 

 

 

子供が勉強を嫌いになる理由

どうも皆さんこんにちは林檎です。

今日はこんなこと考えました。

 

「子供が勉強を嫌いになる理由」です。

 

この世の中に勉強が好きな人もいれば、もちろん好きなひともいますよね。

でも勉強が嫌いな人の方が多いですよね。

もちろん私も勉強が嫌いです。

 

今日はそんな理由についての記事です。

 

日本の主要教科は算数国語理科社会です。

もうこの時点でアウトだと思っています。

 

今の日本は主要教科を押し付けている状況なんです。

算数の宿題、国語の宿題、理科の宿題。

 

主に宿題として出されるのは算数ですね。

 

小学校高学年くらいになれば「自分の好きなこと」がだんだんわかってきます。

そしたら自分の好きなことに時間を費やしたいのは当たり前。

自分の好きなことを極めさせればいいんです。

 

例えばゲームです。

ゲームは遊びに見えますが、見方を変えると大きく算数(数学)に関わってきます。

「遊ぶ側」から「作る側」になるのです。

そうすればプログラミングなどで最終的に算数に関わってくるわけです。

 

絵だって

追い詰めていけば最終的に歴史に関わってくるわけです。

 

 

もちろん算数国語理科社会も大切です。

しかし、

日本から主要教科を取り払ってしまえば勉強好きな人がもっと増えると思います。

 

 

 

SNSの在り方

どうもこんにちは林檎です。

今日はこんなこと思いました。

 

SNSってすごく怖いよね」ってことです。

 

僕がこの記事で述べたいことはもちろん個人情報特定の危険性も関わってきますが、

主に中毒についてです。

 

皆さんがSNSを使っている目的はなんでしょうか。

 

仕事目的? 人脈作り? 遊び?

 

ビジメスや、仕事目的でSNSを利用するのは構わないですが、注意して欲しいのは遊び目的でSNSを利用している人たちです。

 

最近「インスタ映え」などの言葉が流行ってますよね。

 

しかし、

最近少しずつエスカレートしていってしまい、「インスタ映えの目的だけに食べ物を購入する」と言う行為が大きなってきていて今では社会問題の一つになってきています。

 

 

ではなぜ、そのような事態が起こっているのか。

 

SNSは一種のギャンブルだからです。

一番わかりやすい例がスロットです。当然スロットの結果はランダムです。

人間の脳は結果がランダムになればなるほど

どんどん抜け出せなくなると言う傾向があります。

 

SNSも同じです。

 

携帯のロックを解除する前に一度通知が来ているか来ていないか、ウキウキするんです。

そしてホーム画面を見たときに通知のマークが来ていると一気にドーパミンが放出されて快感に浸ることができます。

 

これは麻薬使用時の二倍とされています。

 

また、

いいねされた時ももちろん嬉しいですよね。

このことを「承認的欲求」と言います。

「誰かに認められた」「自分が価値ある人間」と言う感情です。

 

 

SNSはもともと楽しかったことをみんなで共有する場所であり、

情報を収集する場であると思います。

 

もちろんSNSがある限り承認的欲求は絶対になくならないと言っていいでしょう。

 

しかし、

それを満たすためだけにSNSを使わないで欲しい。

 

 

友達の大切さ

どうもこんにちは林檎です。

今日はこんなこと思いました。

 

「友達って大切だな」と。

 

この前学校に行ったんですけど、

久しぶりに友達と顔を合わせたんです。

その時はなぜかとても嬉しくてついニヤニヤしてしまいました。

 

久しぶりに友達に会ってすごく嬉しかったんです。

数ヶ月前までは友達がいるのが当たり前だったんですけど、

その当たり前ってすごい奇跡だなってことを感じました。

 

友達ほど大切なものはいない。そう感じました。

 

友達と今まで下らないことでケラケラ笑っていたのが今ではありえないんですから。

 

これからはもっと友達を大切にしようと思います。

 

 

感覚の不思議さ

どうもみなさんこんにちは林檎です。

今日はこんなこと思いました。

 

「感覚って不思議だな」と。

 

今日、私の地域では雨だったんですけど、

雨の匂いや曇り具合がいつも旅行に行っている那須(栃木県)そのものだったんです。

 

僕は小さい頃から那須によく遊びに行っていました。

その時は大体雨でした。もちろん晴れの時もありましたが、那須は雨という印象が大きかったです。

 

そして、今日は学校に行ってきたんですけど(車)、その時の雨がすごく那須に似てるなと思って。

 

ここは那須だよって言われたら絶対に信じてしまうような感覚でした。

そしてものすごく居心地が良かったんです。

 

いつもは毎日見てる道なのに、

「雨が降っている」というすごく身近なかな現象でここまで感じ方が変わるんだなとすごくびっくりしました。